出典はとうの昔に忘れましたけど、イタリア人曰く「日本では『ほかのひとと違う』のが恥ずかしくて、イタリアでは『ほかのひとと同じ』なのが恥ずかしい」と。そんな話を読んだことがあります。
確かに、この日本に住んでいると「ひとと同じ」ということが楽チンで、そんな環境にどっぷり浸かっていると、オレとオマエは同じ人間、酒呑んで腹を割って話せばわかり合えるさ。という心境になりがちです。
でも、たとえ同じ国に住み、同じことばを話していたとしても、産まれた場所も、育った環境も違う人間同士ですから、実はお互いをわかり合えるほうがむしろ奇跡なんじゃないかと思います。
なんでこんなことを書いたかと言いますと、この記事。
・ツイッターで話題沸騰!!はるかぜちゃんに聞いた「ぼくをつくった本(ω)」
はるかぜちゃんとは11歳、小学校6年生の女優、声優である春名風花(はるなふうか)ちゃんのことで、彼女のTwitterアカウント「はるかぜちゃん(@harukazechan)」のフォロワーはただいま12万人を優に超える人数。先日「ひみつの嵐ちゃん!」にもゲストとして登場していましたね。
さて、そんなはるかぜちゃんが11歳とは思えない確固たる人生観を持つようになったきっかけの書籍を紹介していたのがこの記事だったんですが、そのなかで採り上げていた「子供から大人まで知っておきたい、135のマナー集」(多胡輝著)についての彼女のコメントに納得したからなのです。
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お気に入りは「世の中には『どうしても気が合わない人がいる』それを知る事が大切」という項目。いろいろな考えの人がいるということはわかっていたけれど、しつこく話し合えば絶対にわかり合えると思っていたんです。でも「いくらがんばっても親しくなれない人はいるのです」という断定調に衝撃を受けました。
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そう、オレもそう思うな。
お互いをわかり合えない、それは悲しいことでもなんでもなくて、まずはオレはあなたのことをわかっていないし、あなたもオレのことをわかっちゃいない。その間合いから、すこし注意深く会話を行って、お互いどこまで歩み寄れているのかを探っていくのがコミュニケーションの要諦なのではないでしょうか。
なかには、そういった手間と時間のかかるプロセスを経ないでもなんとなくわかりあえてしまう人種も、稀にはいるでしょう。
そういう相手をぼくたちは「なんとなくウマが合う」と呼ぶわけですよね。
そしてまた一方では、わかり合えない人物だからといって排除する必要もなく、お互いの存在を尊重し合う、そんな関係でいられたらと思います。
たまたま今朝の未明、評論家の津田大介氏もこんなことをツイートしていました。
心が狭い人も、心が広い人も、おなかがすいてる人も、おなかがいっぱいの人も、きのこ派も、たけのこ派も、いろいろな人がいるツイッターであり、その多様性を大事にしたいですね。
— 津田大介さん (@tsuda) 9月 5, 2012
はい、木曜日の夜もLifeTeriaブログの時間です。
本日は仕事が遅くなってしまい、さらにオフィスを出ると雨。
遠出する意欲をそがれまして、オフィスの近場で深夜まで開いている「焼肉トラジ」へ。
・ユッケジャン麺(1,000円)
見た目の色ほどは辛くなく、至って常識的な辛さ感でした。
牛肉はほんのちょっと…。申し訳程度に溶き卵のなかに隠れていました。
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