最近の東京のラーメンって、なんか大上段に構え過ぎじゃないですか?
ラーメン道を追究して○年。
理想の麺と理想のスープを探求して日本国中のラーメン店を食べ歩き、改良を繰り返しついに完成した琥珀色のスープは店主の哲学を形にした小宇宙。
そしてポスターにはなぜか腕を組んでカメラのレンズを睥睨するひげ面で強面の店主。みたいな感じで。
なんでラーメン屋さんだけああなっちゃうの?
ストーリー性とか店主のカリスマ性とかがもう、味の一部みたいな、ね。
今日の昼食は3泊4日の九州旅行。もとい。九州出張の最後の昼食。
久留米「沖食堂」にラーメンを食べにいきました。
創業1955年。メニューはいたってシンプルで、ラーメン、焼き飯、あとはうどんなんかもあるみたいですが、ほぼ100%、お客さんはラーメンか焼き飯、あるいはその両方を注文しています。「焼き飯」とは炒飯とニアリーイコールと思って頂ければ間違いないんですが、若干油っけが少なく、蒲鉾なんかが具に入っていたりして、久留米ラーメンのお店にはたいていある定番メニューです。
・ラーメン 380円
・激辛高菜 50円
久留米のラーメンも時とともにすこしずつ流行りのスタイルに変遷があるようですが、ここ「沖食堂」は、往時の久留米ラーメンを今に伝える貴重なお店です。
ここのスープはもちろん豚骨ベースですが、鶏ガラスープで割っているようで、サラリとした感じであっさり気味。
実は久留米ラーメンの話題を書いていますが、正直に言うと、久留米ラーメンの独特の臭い(久留米ラーメン>博多ラーメン)が苦手なんですね。
現地人に訊くと、あの臭さが病み付きになるばってん。と言うのですが、あっさり醤油ラーメンで育った関東者のぼくには臭いの強いお店はちょっとNGなんですね。
で、「沖食堂」、こちらは独特の臭いも少なく、薬味として紅生姜や高菜を入れてしまえばさらに癖もなくなり、久留米ラーメンビギナーにも親しみやすいお店です。
半世紀以上も、来る日も来る日も大鍋でスープを作り、麺を茹で、別にラーメンについて哲学を語るわけでも、チェーン展開するわけでもなく、愚直に創業当時と変わらないラーメンを作り続ける。
こういうお店を見ちゃうと、ラーメンってこれでいいんじゃないかな、と思ってしまいます。
ラーメンを待つあいだ、ふと横を見ると、壁には古ぼけたシーナ&ザ・ロケッツのポスターが。ポスターにはサインもありました。
そう言えば、このバンドのリーダーでありギタリストである鮎川誠さんは久留米市の出身でした。30年以上も同じバンドで、そして30年前と同じギブソンのレス・ポールを掻き鳴らし、声高に「ロックンロール!」なんて叫ばず(あの人とは違って…笑)、60歳を過ぎてもいまなお現役のロッカーである鮎川誠さんの姿はこの食堂に良く似合っていました。
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