人形町に飲みに行ったHさんやYさん主催の異業種交流会に参加してきました。
場所は六本木ヒルズの中の「新 ARATA」というお店でした。
交流会の前に少し時間があったので、ちょうどお店の前にある毛利庭園を散策しました。
実は、幼稚園から高校を卒業するまで、僕はこの六本木ヒルズから徒歩5分くらいのところ、芋洗坂(交差点から麻布十番に下りる坂ですね)の下に住んでいました。
もちろん六本木ヒルズなんてものはなく、いまの「けやき坂」のあたりは「北日が窪団地」という、静かで日当たりの良い団地がありました。
六本木で暮らしていたなんて言うと、セレブみたいですが、いやもう、セレブとは程遠い生活をしていました。
たまたま親の仕事の関連でこんな街に住んでいただけで、家は台風になるとあちらこちらから雨が漏るようなボロ家でしたし、僕は小学生の頃から、毎日学校から帰るとコカコーラの自動販売機の缶の補充やら現金回収をしたり、ちゃんと家の手伝いもしていましたよ。
そんなわけで、普通のひとにとっては、六本木は猥雑な繁華街のひとつだと思いますが、僕にとっては幼少時代を過ごした思い出の地です。
おかきで有名な「豆源」や中華料理の「桂亭」、いつも混んでいる居酒屋の「あべちゃん」なんかは同級生なんですよ。
さて、この毛利庭園。今は六本木ヒルズの中でキレイに整備されていますが、僕が小学生にあがった頃は、まだニッカウヰスキーの工場があった場所で、庭園の池は僕たちの間では「ニッカ池」と呼ばれていました。
「ニッカ池」はザリガニなどが釣れるので、小学生たちの格好の遊び場になっていました。
もちろん、警備員に見つかると怒られますから、見つかると怒られる前に塀を上って逃げるわけです。
現在の庭園は往時よりずいぶんと縮小され、それにしたがって池も昔とは違うコンパクトなものになってしまいました。
赤穂浪士の四十七士のうちの10名が、この池のほとりで切腹をしたという歴史上のエピソードも残る場所ということもあり、六本木とは思えないほど鬱蒼と木々が生い茂る庭園の中は夕方にもなると少し気味が悪いような場所でした。
そんな往時の面影のない、美しい庭園を歩いて、久しぶりに小学生時代のことを思い出してしまいました。
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